桂枝雀さんに驚く!!

初めてのロックコンサートをクイーンで体験したのとほぼ同じ頃、僕はこれも初めて落語をナマで聴いた。そして観た。これも

いきなり凄い体験をさせてもらったのだが、当時、上方落語の世界でメキメキと人気を集めて人気

・実力ともに頂点にあったと言ってよい二代目桂枝雀の独演会だった。これも岡山の体育館かどこかでの公演だった。この時は昨年逝去した母と一緒だったよくほがらかに笑う人だった。なので、今度枝雀さんの落語会があるよと誘ってみたら、「行く!」との返事。当時、まだ枝雀さんはマスコミにはあまりとうじょうすることもなく、ぢみちなかつどうをしていらっしゃつた頃なので、「行く」という返事は意外だった。数少ないテレヒ出演の機会に遭遇して、爆笑した経験が母にもあったのだろう。それほど爆発力のある笑いをていきょうしてくれる人という印章があった。なので母も僕もわくわくしながら会場に向かった。かなり大きめのホールだったが、客席はほぼ満席。枝雀さんのおもしろさはみなさんよくご存じな様で、客席には熱気が充満していた。母はコロコロとよく笑う人でその笑いを聞くのご好きだった。でも、あんまり笑いすぎて周りに迷惑をかけなければいいがと心の中で密かに思っていた。さて、ご陽気な出囃子とともに満を持して枝雀師匠が登場。すると、それだけでケラケラと笑い出す女性がいる。母ではない。もう少し歳の若い人の声だ(当時、母は50代半ばだったと思う)この女性は最後まで大きな声で笑い続け、ちょっと耳障りだった。さて、この日の演目は『宿替え 』東京でも『 粗忽の釘』として演じられているネタだ。長屋から長屋へ引越す男とその妻の顛末を描いた古典落語の有名作だ。枝雀さんの演出では女房にいろいろ小言を言いながら家財道具を大きな風呂敷にしまうところを時間をかけてたっぷりと見せる。そのせいで、その後に風呂敷を持ち上げようとすると床の垂木までも風呂敷で結んでいたというオチか余計におもしろくなる。このしつこさか上方落語、枝雀落語の特徴だろう。

 

東京で40年近く暮して貯えが一切無いという自堕落な生活を送ってしまいました。では、財産は皆無かといわれれば、いやそんなことはないと自信を持って言える。外タレのコンサートや様々な芝居などナマで体験する、いわゆるパフォーミング・アーツを味わうことができたからだ。これだけは質量的に圧倒的なものがあったと自負している。その数々を思い出すままにここに書き綴って行こうと思う。最初に取り上げるのは昨年(2018)な年末から今年の年頭にかけて大きな話題となった映画『ボヘミアン・ラプソディ 』で再び注目されたイギリスのバン

 

 

京マチ子さんの思い出

京マチ子さんがお亡くなりになった。95歳であったそうだ。1999年に放映された『元禄繚乱 』という大河ドラマの出演者インタビューを担当した時、京マチ子さんにお話をうかがうチャンスがあった!京マチ子さんクラスになるとマネージャーなんかではなく、東宝の社長なる人物が付き添っていた。NHKの食堂で会った。20年前のことだから、京マチ子さんは当時75歳。とてもそうは見えないと言っては失礼になるかもしれないが、年齢相応というべきか、たおやかで凛とした美しさに満ちていた。インタビュアーである私はある編集プロダクションの担当女性編集者と出版元であるNHK出版の担当者と、さらには例の東宝社長と京マチ子さんをかこんでいた。簡単な挨拶をすませたのち、インタビューを開始した。ところが、あまりにも偉大な方だったので、スムーズに言葉が出てこない。そうした様子を見かねたのだろう。同席した女性編集者が突如口を開いた。「京さんってほんとお美しい!お化けみたい!!」その瞬間、その場の雰囲気が凍りつくのがわかった。出版社のスタッフや同行した東宝社長の表情がこわばるのごわかった。言うに事かいて「お化けみたい!」は無いだろう?!  私はパニックに陥ってしまった。その時、京マチ子さんが突然「あははは、やだ、この人ったら...」とさも楽しそうに婉然とお笑いになった。その態度を見て、社長も出版社スタッフも、一瞬にしてほぐれて楽しい雰囲気の中で取材を続けることができた。京マチ子さんは人の言葉尻を捉えて敏感に反応するような小人物ではなかった。もっとおおらかでゆったりした心根の方であった。それだからこそわが国を代表する大女優となられたのだろう。私の母も京さんより2つ歳下で昨年の夏みまかったが、当時はそんなに歳が近いとは思わなかった。京さんが若く見えていたのだろう。それにしても、京さんの

笑顔にはその場に居た皆がすくわれました。有難うございました。改めて

ご冥福をお祈りしいたします。